息子はボンヤリとした子で、放心しているような幼児だった。
幼稚園時代では、皆が外に出なければならない時ものんびりと、
ゆっくりとして、集まらなくてはならない時も自分の鈍いペースで、
最後の最後に整列に加わる子供だった。
幼稚園の副園長先生にも、「ちょっと、ゆっくりとし過ぎていますね」
と言われた。
私はなんとかしたくて、この頃から息子には躾を厳しくし始めたけれど、
どうにも、どうにも息子は急げない。
皆と同じ早さの行動をする事が出来なかった。
そんなボンヤリとした息子は、気の強い男の子のいじめの対象にもなった。
遊んでいた玩具を突然踏みつけられたり、突き飛ばされたりした。
早生れで体も小さく、その鈍くささから感情をぶつける対象としては
ちょうど良かったのかもしれない。
息子の憔悴を感じ、息子から話を聞き、通園を止めさせ、
転園も視野に入れた行動を取った為、
通っていた幼稚園で対策を施してくれ、
また息子は通園し無事卒園まで通うことが出来た。
ボンヤリとして、放心していて、鈍くさい息子をなんとかしたくて厳しくし、
厳しくしている自分が辛くて苦しかった。
「息子さんのゆったりしたところが、私としてはホッとします。
自分!自分!のお子さんばかりだと疲れますよ。
息子さんに癒されます」
息子の幼稚園の担任の先生にこう言われた時、涙が出てきた。
鈍い息子だけれど、優しくて純粋で平和な心を持っている。
親馬鹿かもしれないけれど、確信していた。
それでも、
それでも、
どうしても躾なければ、という気持ちもあった。
息子の幼稚園の卒園の日、
晴れがましく会場に登場した息子を見て、涙が止まらなかった。
体が震えた。
可愛くて、愛おしい息子の嬉しそうな笑顔が胸に深く染み渡った。
私は多分、子供に一生懸命過ぎるんだ。
卒園時の息子の言葉はまだ拙く、文字さえも書けない文盲だった。
これから小学校へ入学するというのに、あえて文字は教えなかった。
No responses yet